2020年。連載開始間近だったエッセイが、急きょ、連載ごとなくなるという出来事がありました。私のそのエッセイは、自死を選んだ友人について書いたもので、「読んだ人が希死念慮に囚われるから」「辛い記憶がフラッシュバックするから」というのが、編集部がいう連載消滅の理由でした。
けれど今。
まったく違う理由ではありますが父を失ったばかりの私が、辛い記憶がもっともフラッシュバックするのは「プレミアム食パン」と「青空」を見たときです。この二つがトリガーになるなんて、自分でも予測外のことでした。
プレミアム食パンは、父が緊急入院してから亡くなるまでの10日間で、期せずして、私が一番たくさん食べた食べ物でした。
入院して、4日目。病院から呼び出しがかかったことがありました。担当医は、かなりシビアな病状を説明したあと「延命措置をするか、なるべく早くご家族で話し合ってください」と、静かに言いました。
父の命の長さを、私たちが決める。その重さを感じながらも、とりあえず母になにか食べさせなくちゃと、病院からの帰り道、ファミリーレストランに入りました。すると母は、頼んだポテトフライをつまみながら、こんなことを言うのです。
「お父さんが退院したとき手狭だから、部屋を片付けなきゃね。きっと、すぐには起き上がれないだろうし」
とっさに否定も肯定もできず、私は黙って、母の顔を見つめました。医師の説明が理解できなかったのか、精いっぱい希望を見出そうとしているのか、それともただ、現実逃避してるんだろうか――。
言葉を選ぼうとして選びきれず、困って窓の外に目をやると、すぐ向かいに、プレミアム食パンを売る店が見えました。
「ねえお母さん。あれ買って帰ろっか。食べたことある? 東京では人気で、並ばないと買えないんだ」
お父さんはもう、帰ってこられないんだよ――そう言う代わりに私は、パンを買いに走ったのでした。
「うわあ、耳までふわっふわ」
朝食はいつもパンだという母は、その柔らかさに歓声をあげ、
「しばらくは子供たちがうちに順番に泊るから、みんなも喜ぶね」
と、無邪気な笑顔で言うのでした。
クリスマスイブの日、実家に泊った私が、朝、母と食べたのも、プレミアム食パンでした。最初の2斤を食べ終えたというので、追加で買っていったものでした。
その日はいったん東京に戻りましたが、深夜2時ごろ、父の呼吸が弱いと連絡が。大急ぎで駆けつけ、父を看取り、葬儀の手配をすませて、クタクタで実家に帰りました。お腹は空いているのになにか買いに行く気力もなく、家族4人で黙々と食べたのも、プレミアム食パンでした。
プレミアム食パンを見ると、あの10日間を思い出します。悲しすぎて感情がバグったのだろう母が、パンをほおばって「いいにおいがするね」と言ったときの泣き笑いみたいな顔が、ふいに頭をよぎるのです。
そして、青空。
父が入院している10日間は、晴れの日が多く、顔をあげるといつも、雲一つない青空がうんと遠くまで広がって見えました。
父があと数日で逝くだろうと告げられた日も、病院を出たら青空でした。
父はもう、空を見ることはないんだな。
そう気づいたら青空が申し訳なくて、高度治療室でたくさんの管に繋がれた父が悲しくて、いっそ曇っててくれたらよかったのに、と思いました。
青空の下ではいろんな人が、それぞれの人生を生きていました。犬を散歩させる人。小さな子の手を引いて歩く女の人。自転車で駆けぬける人――。晴れた空を意にも介さず道をゆく人たちが恨めしく、澄んだ青がどうしようもなく胸に刺さって、私はしばらく、運転席に座ったまま、顔を上げることができませんでした。
誰かを傷つけるかもしれないものを避けることを、否定するつもりはありません。でも「かもしれない」で予測がつくほど人の心はシンプルにはできていないと、「配慮される側」にいる今、思います。
私たちが発するどんな些細なものも、誰かのトリガーになることがある。そのことを自覚して言葉を紡ごうと、その自覚を持つことだけが唯一私にできることだと、青空にべそべそとした気持ちになりながら、思うのでした。